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宇和島パールカップレース 帰りの回航 [ヨット]
出港は、潮の流れに合わせて、真夜中の予定でした。
早く出ても逆潮の時は、どうせ進まなくて効率が悪いとのことでした。
予定よりは少し早めの11時半ごろ出発しました。
「もう一度、夜の日本丸見て帰りましょうか?」
黙っていても、やりたいと思っていた事を
誰かが言い出します。

朝は混み合っていた海も、今は他に近寄る船もなく
静かな中での鑑賞でした。
じゃあそろそろ帰りましょうか。
日本丸に別れをつげて、まだその余韻の中にいる内の事です。
ガン といきなり大きな衝撃があってエンジンが止まりました。
大きな岩にでもぶつかったのだろうか、と思うような衝撃でした。
初めは、エンジンをかけてもヨットは動きませんでした。
他のクルーはいろいろ相談しながら、
ヨットをバックさせたり前進させたりしました。
「なんだあ、こりゃあ」と
引き上げたものは、すごく太いロープだったのです。
「何でこんなものがこんな所にあるんだろう。」

朝、明るくなってから撮ったロープです。
エンジンは動きはじめましたが、
3ノットを過ぎると、船体が震えはじめるのです。
それがどういう状況の為にそうなるのか分かりません。
暗い夜の事で、調べることもままなりません。
一応ゆっくり進み始めたものの、
何がどんなふうにダメージ受けているのか分からず、
この状態で、どこまで持つのかも判断がつきません。
「沖に出てしまってから、止まったら、それ、もっと悪いですよねえ。」
そんな意見も出るので、
ではどうすれば良いのだろう、、、と
ひとりで、いろんな可能性を想像していました。
そんな時 ピーターストームのオーナーから
大師匠の携帯に電話がかかりました。
私たちの後を追って出たので、どこにいるかを尋ねるためです。
大師匠が事情を話して、潮の流れが変わるところまでだけでも
引っ張って帰ってくれないかと頼んでいました。
ピーターはすぐに受け入れてくれました。
後から追って来ると思っていたピーターは
帆船見物のあいだに、先に行っていたようで、
待っていてくれました。
横にならんで、ロープを投げて渡し、
それぞれに結わえて、ピーターが先導するのに合わせて、
こちらでも舵を切りながら進みはじめました。
5ノットの早さでした。
いつ見ても、前にひっぱってくれるヨットの姿があるのは、
心強く安心でした。。
私たちの為に帰りが遅くなったピーターには
申し訳ない気持ちがしましたけれど、
連れ立って楽しい事をしているようにさえ思えました。
夜半に眠くなって船室に下りて、寝ようとした場所は
大きなエンジン音がして、
いくらどこでも眠れるといっても、さすがに無理かな
と、すぐに目が覚めては思うので、
もうこんなに何度も目が覚めるくらいなら、
誰かと交代しようと思い、ごそごそ起き出していたら、
技術士官が上から顔をのぞけて、小さな声で名前を呼んでから、
「起きるんだったら、しっかり着てきた方がいいですよ。
外、寒いですからねぇ。」
と、まるで母親が小さい子にでも言うような優しい調子の声で
気遣ってくれました。
技術士官は息子とあまり歳が違いません。
外へ出て、時間を聞いてびっくりしました。
寝てないと思っていましたが、
一息に眠ってしまっていたのです。

引っ張ってくれているピーターストーム

これから明けてゆく時間は、
日頃味わえない美しさを堪能できます。

佐田岬

このあたりは潮の流れがぶつかるところで、
波が嘘のように穏やかになったこの日も、
ここだけは波立っていました。

明るくなったら、ピーターでは、
セイルを揚げる準備がはじまりました。
この日は風にはあまり期待ができませんでしたが、
多少でも早くなるのかなと思い、
「うちでもあげますか?」
と聞いたら、
「いえいえ、引っ張られる船が帆をあげたら 振られて
抵抗になったりするんで、揚げない方がいいんです。」
と船長が教えてくれました。


ジブの上がったピーターストームの後姿、
きれいですね。

お腹がすいたなあ、、
結局買い物してませんね。
ずっと前にカップラーメンを買って置いておいたのがある
と甲板長が思い出しました。
「だけど、賞味期限だいじょうぶかなあ。ちょっと見てください。」
「大丈夫、大丈夫、 賞味期限は食べた後から
調べたらいいですよ。」

大師匠が中から、いろいろな種類のカップ麺を出して並べました。
「いろいろあるけど、何かいいですか 」
なんだか、遊園地のアイスクリームスタンドのような雰囲気です。

凪いで、とろけそうな海面
たどり着くにはまだまだだけど、
こんな中で、波に任せて、いつまででも浮かんでいられそうな気がして来ます。
ピーターは結局、それぞれのマリーナへの分岐まで、
引っ張り続けてくれました。
綱を解くと、2ノットの差がはっきりわかりました。
もしずっとこんな調子で帰っていたら、
遅いだけでなく、不安がつきまとった事でしょう。
ピーターの後姿はすぐに小さくなり、
ちょっと他を見ているうちに
島影に隠れていました。

ただいま!
ジブトラックは飛び、ジブセイルは破れ、ハルは傷つき、
エンジンの調子がおかしくなり、、、
傷だらけの帰還となりましたが、
最後の最後まで
遊び心は失せませんでした。

マリーナには午後2時半ごろつきました。15時間の回航でした。
早く出ても逆潮の時は、どうせ進まなくて効率が悪いとのことでした。
予定よりは少し早めの11時半ごろ出発しました。
「もう一度、夜の日本丸見て帰りましょうか?」
黙っていても、やりたいと思っていた事を
誰かが言い出します。
朝は混み合っていた海も、今は他に近寄る船もなく
静かな中での鑑賞でした。
じゃあそろそろ帰りましょうか。
日本丸に別れをつげて、まだその余韻の中にいる内の事です。
ガン といきなり大きな衝撃があってエンジンが止まりました。
大きな岩にでもぶつかったのだろうか、と思うような衝撃でした。
初めは、エンジンをかけてもヨットは動きませんでした。
他のクルーはいろいろ相談しながら、
ヨットをバックさせたり前進させたりしました。
「なんだあ、こりゃあ」と
引き上げたものは、すごく太いロープだったのです。
「何でこんなものがこんな所にあるんだろう。」
朝、明るくなってから撮ったロープです。
エンジンは動きはじめましたが、
3ノットを過ぎると、船体が震えはじめるのです。
それがどういう状況の為にそうなるのか分かりません。
暗い夜の事で、調べることもままなりません。
一応ゆっくり進み始めたものの、
何がどんなふうにダメージ受けているのか分からず、
この状態で、どこまで持つのかも判断がつきません。
「沖に出てしまってから、止まったら、それ、もっと悪いですよねえ。」
そんな意見も出るので、
ではどうすれば良いのだろう、、、と
ひとりで、いろんな可能性を想像していました。
そんな時 ピーターストームのオーナーから
大師匠の携帯に電話がかかりました。
私たちの後を追って出たので、どこにいるかを尋ねるためです。
大師匠が事情を話して、潮の流れが変わるところまでだけでも
引っ張って帰ってくれないかと頼んでいました。
ピーターはすぐに受け入れてくれました。
後から追って来ると思っていたピーターは
帆船見物のあいだに、先に行っていたようで、
待っていてくれました。
横にならんで、ロープを投げて渡し、
それぞれに結わえて、ピーターが先導するのに合わせて、
こちらでも舵を切りながら進みはじめました。
5ノットの早さでした。
いつ見ても、前にひっぱってくれるヨットの姿があるのは、
心強く安心でした。。
私たちの為に帰りが遅くなったピーターには
申し訳ない気持ちがしましたけれど、
連れ立って楽しい事をしているようにさえ思えました。
夜半に眠くなって船室に下りて、寝ようとした場所は
大きなエンジン音がして、
いくらどこでも眠れるといっても、さすがに無理かな
と、すぐに目が覚めては思うので、
もうこんなに何度も目が覚めるくらいなら、
誰かと交代しようと思い、ごそごそ起き出していたら、
技術士官が上から顔をのぞけて、小さな声で名前を呼んでから、
「起きるんだったら、しっかり着てきた方がいいですよ。
外、寒いですからねぇ。」
と、まるで母親が小さい子にでも言うような優しい調子の声で
気遣ってくれました。
技術士官は息子とあまり歳が違いません。
外へ出て、時間を聞いてびっくりしました。
寝てないと思っていましたが、
一息に眠ってしまっていたのです。
引っ張ってくれているピーターストーム
これから明けてゆく時間は、
日頃味わえない美しさを堪能できます。
佐田岬
このあたりは潮の流れがぶつかるところで、
波が嘘のように穏やかになったこの日も、
ここだけは波立っていました。
明るくなったら、ピーターでは、
セイルを揚げる準備がはじまりました。
この日は風にはあまり期待ができませんでしたが、
多少でも早くなるのかなと思い、
「うちでもあげますか?」
と聞いたら、
「いえいえ、引っ張られる船が帆をあげたら 振られて
抵抗になったりするんで、揚げない方がいいんです。」
と船長が教えてくれました。
ジブの上がったピーターストームの後姿、
きれいですね。
お腹がすいたなあ、、
結局買い物してませんね。
ずっと前にカップラーメンを買って置いておいたのがある
と甲板長が思い出しました。
「だけど、賞味期限だいじょうぶかなあ。ちょっと見てください。」
「大丈夫、大丈夫、 賞味期限は食べた後から
調べたらいいですよ。」
大師匠が中から、いろいろな種類のカップ麺を出して並べました。
「いろいろあるけど、何かいいですか 」
なんだか、遊園地のアイスクリームスタンドのような雰囲気です。
凪いで、とろけそうな海面
たどり着くにはまだまだだけど、
こんな中で、波に任せて、いつまででも浮かんでいられそうな気がして来ます。
ピーターは結局、それぞれのマリーナへの分岐まで、
引っ張り続けてくれました。
綱を解くと、2ノットの差がはっきりわかりました。
もしずっとこんな調子で帰っていたら、
遅いだけでなく、不安がつきまとった事でしょう。
ピーターの後姿はすぐに小さくなり、
ちょっと他を見ているうちに
島影に隠れていました。
ただいま!
ジブトラックは飛び、ジブセイルは破れ、ハルは傷つき、
エンジンの調子がおかしくなり、、、
傷だらけの帰還となりましたが、
最後の最後まで
遊び心は失せませんでした。
マリーナには午後2時半ごろつきました。15時間の回航でした。
宇和島パールカップレース パーティー [ヨット]
レースが終わって港に帰ったらすぐに、片づけや夜中の出港に向けての準備をしました。
桟橋に降ろしていた荷物はリレーで、運び込みました。
、
レースが早く済んで夕方からのパーティまでは少し時間があったので、
皆で街をぶらぶら見学に出かけました。

( この写真は前日の夕方に撮ったものです。)
商店街から宇和島城がすぐ近くに見えた時、
「まだ宇和島城に行ってみたことがないなあ」
と誰かがいったので、子供のような好奇心のあるみんなのことだから、
登ろうということになるかな、、と思ったら、
「ロープウェイとかあるんですか?」
「いやあ、ないでしょ。」
「 歩いて登るんですか?」
結局時間が足りないかもしれない、という事になりました。
商店街のいろんな場所から新緑に囲まれて姿を見せる宇和島城が
再度誘っているように思えたので、
後のパーティーで、地元の人に聞いて、
「 あなたたちの足で、ゆっくり歩いて20分くらいということをかなー」
と言う情報を仕入れておきました。
あてもなくぶらぶらというのは、
特別な事は何もありませんが、
情景だけはとても懐かしいものとして残ります。
「前はここで写真撮ったのでしたね。」と
不意に、二年前にお城をバックに交代で記念写真を撮った場所に出た時、
その時の気持ちまで思い出しながら言うと
「ええ」 という返って来た声の調子から
みんなもその時の事を思い出していたのだと感じました。
あの時は師匠がいたことも話題になりました。
パーティー会場に向かうバスの中は
一生懸命遊んだ後の満足した空気が満ちていました。
潮の飛沫を浴びたレース後のお風呂は、格別の上に格別でした。

パティー会場に入るとまだ明るくて、
窓の外の日に透けたような緑の色そのものが
乾いたのどを潤す水のように感じられました。

外のベランダにも お料理のテーブルがあり
部屋もベランダも席がいっぱいに、設えてありました。
パーティが始まると市長はじめ、関係者の挨拶があり、
その後レースの報告と、表彰がありました。


この日のように強風が吹くと、大きいヨットにとっての方が有利だったそうで、
順位はそれを如実に表したそうです。
”打倒艇”は、それぞれ、6、7,8番とゴールの順位が並んでいましたから
タラ, レバ, ゴール争いは手にあせ握るものだったかもしれません。
いえ、念願かなって、ブルーノートのお尻見せながらゴール、、、、タラレバ、
39艇中12位の着順というのは、アクシデントの繰り返しを
経験したクルーにとっては
むしろ意外だったようです。
あのブイの場面では、もっとたくさんのヨットが
通り過ぎて行ったように思っていました。
レートが掛けられて14位という結果でした。
前に出てコメントする人たちの挨拶や、やり取りもユーモラスで親密で、、
ヨット仲間が楽しく集う場がしっかり定着しているのを感じました。
17回続いていることは、素晴らしいことだとおもいました。
混雑の中できょろきょろ、ちはやママさんを探していましたが、
ベランダの大きな木の間に姿を見つけました。

初めご主人は奥さんの顔がみえるようにとしっかり傾いてくださったのに
ぐずぐずピント合わせしているうち目だけになりました。
まだ甘かったけれど、
もう1枚!と人差し指で合図を送るのが申し訳なくなりました。
これはこの日の朝レース前に、ホテルからヨットに帰った時目にした光景です。
このシーンを壊さないように、内緒で撮りました。

レース用の番号旗はヨットの右前に、、、
「ご夫婦でご一緒にヨットに乗られていいですね。」
と言うと、どちらもそれぞれ
「はい、そうですね。」
とまっすぐなお答えが返ってきます。
宇和島のパーティは、景品として、
宇和島産のパールのネックレスが用意されています。
そのパールがこのパーティーをうまく盛り上げてゆきます。
パーティ会場の入口で、みんなはあらかじめ、
ヨット名と自分の名前を書いたチケットを渡しておくようになっています。
そのチケットの入った箱から ”くじ”のように景品の数ほど係りの人が引きます。
名前が読み上げられ、次々に景品が渡されてゆきます。
景品は、名産のじゃこてんだったり、かまぼこだったり、生牡蠣だったりです。

景品がほどほど行き渡ったところで、
それまでに何も当たらなかった人が
立ってじゃんけんをします。
始めは大勢いるので、代表者を決めるまでは
階段の中ほどに立った司会者とのじゃんけんに、
あいこなしで勝った人だけが残ります。
ある程度の人数になったところで、
前に出てその人達同士でのじゃんけんをするのです。
ただのじゃんけんですが、 応援の声も混じって
会場はだんだん賑やかになります。
真珠はいろいろな種類が用意されていて、
間で、くじが引かれては、又じゃんけんになります。
代表者をテーブルごとのじゃんけんで決めて出したこともあり、
そうなると自分のテーブルから出た人を応援します。
今回真珠を巡って間のあたりにした事です。
じゃんけんの代表者で、出て行った私のすぐ背中側にいた奥さんは
最後の二人というところまで残りました。
奥さんが残る度、隣のテーブルでは歓声があがるし、
こちらも身近な仲間気分になって、応援しました。
司会者がうまくジラした後のじゃんけんで
結局負けて帰ってきました。
「惜しかったねえ。」 との仲間からの声に
「私の人生って、こんなもんです。」と答えていました。
最後に一番上質のパールのネックレスが待っていて、
みんなにじゃんけんに参加する機会が残されているので、
時間が経つにつれて、みんなはじゃんけんに情熱をかけはじめたようでした。
司会の御嬢さんも空気を作るのがとても、上手だったのです。
その、パールのネックレスを巡って勝ち残ったのは男の人二人でした。
「もし、このパールのネックレスが手にはいったら、
誰にあげますか?」
と司会者が質問しました。
若い方の男の人が、
「じゃあ、あなたに差し上げます。」
と司会者に向かって答えました。
もう一人の人は真面目な調子で
「(私のヨットの)前のオーナーの奥さんに差し上げます。」 と答えました。
どちらが勝っても、気前がいいなあ。
どちらもがんばれ!!
結局司会者の御嬢さんのものにはなりませんでしたが、
御嬢さんは、
「じゃあ、前のオーナーの奥さん出ていらしてくださーい。」
と明るくのびる声で呼びました。
それが、背中側にいたさっきの奥さんでした。
半分泣きそうな表情でネックレスの箱をもって帰って来たところを
「あなたの人生って、そんなものなのですね。」と言いました。
この日私が景品にもらったのは、飲むといい香りのするお水でした。
みんなでワイワイ盛り上がったパーティが終わり、
送迎バスでヨットに戻りました。
帰りの回航が待っています。

桟橋に降ろしていた荷物はリレーで、運び込みました。
、
レースが早く済んで夕方からのパーティまでは少し時間があったので、
皆で街をぶらぶら見学に出かけました。
( この写真は前日の夕方に撮ったものです。)
商店街から宇和島城がすぐ近くに見えた時、
「まだ宇和島城に行ってみたことがないなあ」
と誰かがいったので、子供のような好奇心のあるみんなのことだから、
登ろうということになるかな、、と思ったら、
「ロープウェイとかあるんですか?」
「いやあ、ないでしょ。」
「 歩いて登るんですか?」
結局時間が足りないかもしれない、という事になりました。
商店街のいろんな場所から新緑に囲まれて姿を見せる宇和島城が
再度誘っているように思えたので、
後のパーティーで、地元の人に聞いて、
「 あなたたちの足で、ゆっくり歩いて20分くらいということをかなー」
と言う情報を仕入れておきました。
あてもなくぶらぶらというのは、
特別な事は何もありませんが、
情景だけはとても懐かしいものとして残ります。
「前はここで写真撮ったのでしたね。」と
不意に、二年前にお城をバックに交代で記念写真を撮った場所に出た時、
その時の気持ちまで思い出しながら言うと
「ええ」 という返って来た声の調子から
みんなもその時の事を思い出していたのだと感じました。
あの時は師匠がいたことも話題になりました。
パーティー会場に向かうバスの中は
一生懸命遊んだ後の満足した空気が満ちていました。
潮の飛沫を浴びたレース後のお風呂は、格別の上に格別でした。
パティー会場に入るとまだ明るくて、
窓の外の日に透けたような緑の色そのものが
乾いたのどを潤す水のように感じられました。
外のベランダにも お料理のテーブルがあり
部屋もベランダも席がいっぱいに、設えてありました。
パーティが始まると市長はじめ、関係者の挨拶があり、
その後レースの報告と、表彰がありました。
この日のように強風が吹くと、大きいヨットにとっての方が有利だったそうで、
順位はそれを如実に表したそうです。
”打倒艇”は、それぞれ、6、7,8番とゴールの順位が並んでいましたから
タラ, レバ, ゴール争いは手にあせ握るものだったかもしれません。
いえ、念願かなって、ブルーノートのお尻見せながらゴール、、、、タラレバ、
39艇中12位の着順というのは、アクシデントの繰り返しを
経験したクルーにとっては
むしろ意外だったようです。
あのブイの場面では、もっとたくさんのヨットが
通り過ぎて行ったように思っていました。
レートが掛けられて14位という結果でした。
前に出てコメントする人たちの挨拶や、やり取りもユーモラスで親密で、、
ヨット仲間が楽しく集う場がしっかり定着しているのを感じました。
17回続いていることは、素晴らしいことだとおもいました。
混雑の中できょろきょろ、ちはやママさんを探していましたが、
ベランダの大きな木の間に姿を見つけました。
初めご主人は奥さんの顔がみえるようにとしっかり傾いてくださったのに
ぐずぐずピント合わせしているうち目だけになりました。
まだ甘かったけれど、
もう1枚!と人差し指で合図を送るのが申し訳なくなりました。
これはこの日の朝レース前に、ホテルからヨットに帰った時目にした光景です。
このシーンを壊さないように、内緒で撮りました。
レース用の番号旗はヨットの右前に、、、
「ご夫婦でご一緒にヨットに乗られていいですね。」
と言うと、どちらもそれぞれ
「はい、そうですね。」
とまっすぐなお答えが返ってきます。
宇和島のパーティは、景品として、
宇和島産のパールのネックレスが用意されています。
そのパールがこのパーティーをうまく盛り上げてゆきます。
パーティ会場の入口で、みんなはあらかじめ、
ヨット名と自分の名前を書いたチケットを渡しておくようになっています。
そのチケットの入った箱から ”くじ”のように景品の数ほど係りの人が引きます。
名前が読み上げられ、次々に景品が渡されてゆきます。
景品は、名産のじゃこてんだったり、かまぼこだったり、生牡蠣だったりです。
景品がほどほど行き渡ったところで、
それまでに何も当たらなかった人が
立ってじゃんけんをします。
始めは大勢いるので、代表者を決めるまでは
階段の中ほどに立った司会者とのじゃんけんに、
あいこなしで勝った人だけが残ります。
ある程度の人数になったところで、
前に出てその人達同士でのじゃんけんをするのです。
ただのじゃんけんですが、 応援の声も混じって
会場はだんだん賑やかになります。
真珠はいろいろな種類が用意されていて、
間で、くじが引かれては、又じゃんけんになります。
代表者をテーブルごとのじゃんけんで決めて出したこともあり、
そうなると自分のテーブルから出た人を応援します。
今回真珠を巡って間のあたりにした事です。
じゃんけんの代表者で、出て行った私のすぐ背中側にいた奥さんは
最後の二人というところまで残りました。
奥さんが残る度、隣のテーブルでは歓声があがるし、
こちらも身近な仲間気分になって、応援しました。
司会者がうまくジラした後のじゃんけんで
結局負けて帰ってきました。
「惜しかったねえ。」 との仲間からの声に
「私の人生って、こんなもんです。」と答えていました。
最後に一番上質のパールのネックレスが待っていて、
みんなにじゃんけんに参加する機会が残されているので、
時間が経つにつれて、みんなはじゃんけんに情熱をかけはじめたようでした。
司会の御嬢さんも空気を作るのがとても、上手だったのです。
その、パールのネックレスを巡って勝ち残ったのは男の人二人でした。
「もし、このパールのネックレスが手にはいったら、
誰にあげますか?」
と司会者が質問しました。
若い方の男の人が、
「じゃあ、あなたに差し上げます。」
と司会者に向かって答えました。
もう一人の人は真面目な調子で
「(私のヨットの)前のオーナーの奥さんに差し上げます。」 と答えました。
どちらが勝っても、気前がいいなあ。
どちらもがんばれ!!
結局司会者の御嬢さんのものにはなりませんでしたが、
御嬢さんは、
「じゃあ、前のオーナーの奥さん出ていらしてくださーい。」
と明るくのびる声で呼びました。
それが、背中側にいたさっきの奥さんでした。
半分泣きそうな表情でネックレスの箱をもって帰って来たところを
「あなたの人生って、そんなものなのですね。」と言いました。
この日私が景品にもらったのは、飲むといい香りのするお水でした。
みんなでワイワイ盛り上がったパーティが終わり、
送迎バスでヨットに戻りました。
帰りの回航が待っています。
宇和島パールカップレース レース (Ⅱ) [ヨット]
レースは同じコースでも風によってかかる時間が随分ちがいますが、
宇和島の場合、2時間ぐらいが目安です。
今回の風は、私の少ないレース経験のうちでは一番の強風でした。
ファーストホームが1時間を切ったというコメントがレース後にありました。
激しくはためいているジブのリーチが
速度をロスしていると主張し続けているとはいえ、
強風の中、とことん攻めているヨットの走りを見ると
まだまだ他の要因でカバーできる余地があるのかもしれない、
と思いはじめていました。
最初にターンする上マークのブイはもうすぐそこでした。
ブイを回って風が追い風に変わったあと、
たくさんのヨットがきれいな色とりどりのスピネーカーが上げて
走っているレース海上の美しさは、レースの楽しみの一つでもあります。
でもこの日のような強風でスピネーカーを使うことはありません。
スピンは風が無くても上げられませんが、強風でも交換が無理になります。
それでなくてもちゃんとセットされるまでのスピンセールは
生地が薄くて軽いので、ちょっとの風でも孕むとはためいて、
駄々っ子のようにあばれます。
ターンしながら、手早くセイルをスピンに交換するという時の
上マークのブイは大きな山場です。
セイル交換なしに回ると知って、
大きな課題が一つ少なくなったように思えました。
さらに今回は特に、スピンを上げる練習中に不具合をおこして、
回航前に修理したばかりのポールアイスライダーの事も
心配がなくなったと思いました。
ところが、ジブセイルが風を逃し、スピードが落ち、
上ってゆく角度が保てなかった事は
ブイに向かって行くコースに影響を与えたのです。
ブイに近づいた時は、そのままで
ぎりぎりブイの側が通り過ぎれるかどうかというところでした。
そこへ、他のヨットが右手から接近してきました。
向こうはこちらにそのまま突っ込む予定なのか尋ねてきました。
主張せず尋ねてくれることは紳士的なことです。
もしこちらが行くと主張すれば、向こうのヨットが
私たちの外を大回りをすることになったでしょう。
大師匠は「入りませーん避けまーす。」と方向転換の為タックして
その艇のために道をあけました。
しかし、そこにもう一艇が突っ込んで来ました。
こういうことだ、と前日の前夜祭での主催者の話が浮かびました。
「明日は強風が予想されるし、衝突を避けるため
少しぐらいロスしても、空いたところを大回りにするようにした方が良いと思います。」
と言ったようなことでした。
今度は、向こうに優先権のある状況でした。
やむなくすぐに又帆を転回させて、進路を譲りました。
(これはレース前に取った下マークのブイです。)
後で大師匠が言うのには、ここでシートを出して、帆を出してやれば
失速まではしなかったのだそうです。
でも、数秒間の間に次々と起こってゆく事態に、
みんなもパニック状態だったのではないでしょうか。
二度も間をおかずタックして、ヨットは完全に失速してしまいました。
「くそっ!!。」
いかにも悔しそうな声が大師匠の口から洩れました。
その次が、「ぶつかるよー。」
失速した船は、舵が効きません。
波に流されて、ゆっくりとブイに近づくのを待ったのは
本当は長い時間ではありませんでした。
でも、ただただ待たねばなりませんでした。
「蹴って!蹴って!。」
コック長が指示を出して、ブイ側にいた船長が
足を出そうとしても、揺れて自分の体制を保持するのに苦労する状況で、
それすらままならなかったのです。
衝撃は大きくはありませんでした。
でも、傷ついたに違いないヨットの痛みを感じるような気持ちでした。
それからは、ヨットをいったん風下に流して、
やっと船足を得たところから、もう一度ブイを大回りしました。
失速していたので、この間次々と
後ろから来たヨットが通り過ぎてゆきました。
そちらをちゃんと見るゆとりはありませんでしたが、
たくさんのヨットが次々と側を通っていたように思えました。
大師匠のさっきの声が耳に残っていました。
何も言わないけれど、ヨットが傷ついて
コック長は悲しいのではないだろうか
いろんな思いから、自分の気も沈みましたが、
とにかく難関を脱して上マークを回った事はホットした事でもありました。
「 あれっ、みんな野島 の方へ行っていないよ。」
一難去ってまた一難、、そんな言葉が浮かびました。
多分その時たまたま先に言ったヨットが見えなかったのです。
技術士官の、GPSロガーという機器にはこの間の迷いの航跡が
記録されています。 *
以前レース中にコースが短縮された事がありました。
その時はあまりに風が吹かず、時間がかかり過ぎたからです。
今回なら、強風の為ということなのだろうか、、
そう思っていたら、
「ああ、行ってる、行ってる。」と誰かが報告して、
軌道は修正されました。
ハラハラを繰り返したのはここまでです。
ここから、フィニッシュに向けては、もうみんな落ち着いて、
あんな事があった後でも、あきらめず最前を尽くしていました。
困った事など何も起きなかったような
みんなの様子を見ていたら、静かな感動が湧いてきました。
一連の出来事は
「もしかしたら、、、、」という夢を吹き飛ばしたけれど、
何も悪いことではなかったのだと思えました。
コック長は又きっと次のレース前になったら、
「打倒何々!!」というメールをみんなに送って来るのでしょう。
フィニッシュまで4633秒、(1時間17分13秒でした。)
レース海上から、引き上げる時になったら、
ホットした表情のみんなに比べると、大師匠は少し物思いの様子でした。
スキッパーとしての大きな責任を担っていた大師匠が
今日の諸々の出来事に関して、素通りできないのは当然です。
上マークのブイで起きたことは、写真には撮りませんでしたが、
手の出せない私は、大師匠の様子をとてもしっかり観察していました。
回りの状況を見ながら、舵をすばやく切りながら、
指示も出しながら、シートも出しながら、あの場を切りぬけるために
奮闘していた大師匠の様子に驚嘆していました。
「又しても、タラレバですね。」大師匠が言った時
「タラレバってなんですか?」と聞きました。
「あそこでこうしていタラ。ここでこうすレバってやつですよ。」
「でも、今日もほ~んと、たのしかったですねええ。」
コック長が大きな声でさも愉快そうに言った声が
みんなの気持ちの流れを変えたように思えました。
ほ~んと楽しかったと思いました。
さあ後は、お風呂に入って、
戦ったヨット仲間でパーティーです。
( * 技術士官のブログ”何でもかんでもこんぴゅーた”の日記には
このレースのブルーノートの航跡が掲載されています。)
宇和島パールカップレース レース (Ⅰ ) [ヨット]
日本丸の行事が入った為か、強風の為か
当初のスタート予定時刻が変更されていました。
レース後に10時30分スタートの変更は決まっていたと、知りましたが、
何らかの取り違えがあったようで、
スタート時間は変更旗がスタート10分前を報せる旗に
替わったところで判断するのだと思っていました。
良いスタートを切ることに関しては、舵をにぎるヘルムスには大きな責任があります。
良い場所で、良い角度で、フライイングをしないように、といった諸々の事を
動きながら、他艇とのやり取りの中で判断し決めてゆかねばなりません。
2年前、初めてこの宇和島のレースに連れてきてもらった時は、
スタートラインの事も知らなかったし、質問も憚られたので、
いつがスタートだったかさえ分からない静かなスタートでした。
最近のレースでは、1分前になって技術士官が秒読みを始めると、
息をつめて見守ります。
スタートまでの時間が旗を見ていないと分からないというのは
ヘルムスにとって、もう一つ緊張を強いられる状況でした。
そうした中、更にその上に、旗の上がった瞬間が見逃されたのです。
悪条件が重なったので、少々の困難があっても
いつも落ち着いて対処している大師匠の焦りと苛立ちが見えました。
結局、他の艇がスタートライン近くに集結してきた様子から
スタート間近、10時半スタートと判断して切ったスタートでした。
又しても、見ることだけに集中していて、シャッターを切ったのは
1分後、我に却ってからでした。
見事なスタートでした。
一番前を走っていると思った時間がありました。
先頭の2,3艇の中にいたのはたしかです。
証拠写真に後ろを撮っておくように指示されて撮った写真
大師匠はこの時はもう冗談口調でした。
前夜祭であいさつしたコック長が船名をあげて、
「一度も勝った事がないんで、明日は是非お尻をみせて走りたい。」と言った
”打倒艇”の前にいることは、みなに大きな期待を抱かせました。
前半は苦戦しても、上マークを回ってから追い上げてゆくというのが、
ブルーノートのレースパターンのようになっていました。
下りに強い我々の艇が、今この時点で、この位置にいるという事は、、、。
もしかして、、、、、。
「このままこの角度で上ればいいですね。」
曇って強風の海をブルーノートが
みんなの夢を乗せて走った、20分でした。
観覧艇のしらさぎは、ブルーノートがトップ集団を走るところを
撮っていてくれるかしら、、、
しらさぎから撮った動画を見たことがあったので、
そんな思いがかすめました。
大型艇のカタマランは強風にも安定した動きで、抜いてゆきました。
この時急に大揺れしたのだろうと思うような、何と撮ろうとしたのか
分からない写真もありました。
波がターンターンとヨットの底を打つこともたびたびでした。
回航以上の豪快な走りでした。
それは、レース中で攻めている時の事だからでしょう。
急なブローが入った時は、
風の逃げ道を作ってやる為にセイルを出してやること。
その為にはます一番に、 シートを引き締めて止めてある
ストッパーをはずすという事を、頭に入れておくように、
と先日の練習の時コック長から習いました。
回航中は海は荒れていましたが、
きついヒールを経験することはありませんでした。
レースとなると、ぎりぎり持ち応えようとするのでしょう。
ほとんどヒールしっぱなしといったところでした。
(キャビンの入り口右手の計器の赤い線が水平線を表しています。)
これが、レース中に撮った最後の写真です。
かなりのヒールを起こしていた時でした。
これが最後になったのは
又、シャッターを押すどころでない事態が起きたせいです。
今こうして書いていると、甲板長が良くからかって言うような
”船上カメラマン”にはなれないと思います。
我を忘れただけではありません。
気がついてからも、記録としてシャッターを押す気にはなれなかったのです。
「 あーっ。 やぶれたっ。」
と大師匠が高い声で言った時、声からその重大さが分かりましたが、
レースが終わるまで、何が敗れたのか分からないままでした。
聞いて説明を求めるような状況ではありませんでした。
急にジブセイルのリーチが激しくはためき始めました。
大師匠が支持を出して、応急措置がとられ、少し状況が改善されましたが、
セイルのはためきは止まらず、
風がそこから逃げてゆくので、船足は遅くなりました。
少しずつ抜かれてゆくのは、やはり残念です。
大師匠が、一層果敢に攻め出したように感じ取れました。
後で聞くと、先日改造したジブトラックが、
セイルが孕んだ強風に絶えられす、金具全体が飛んだのだそうです。
後から、取り付け方が甘かったと大師匠が言っていました。
ハラハラしたスタートを無事突破したと思ったら、この事態
今回は又なんと気の揉める事の多いレースだろう、と内心思っていました。
ところがレース展開で致命的に思えたのはその後の出来事でした。
宇和島パールカップレース レース海上へ [ヨット]
大型帆船日本丸が宇和島港に入港していることは、
前の晩ホテルから前夜祭会場に向かう途中の会話で知りました。
「どのあたりに停泊しているんですか?」
「あれっ、入港のとき側通ったじゃないですか。
あんな大きいものの側通って、きづかなかったんですか。
みんなであんなにワイワイ話してたのに、知らなかったんですか。」
とあきれたように笑われました。
多分よそを見てよそ事考えていたのだと思います。
今回はレース海上に行く前に、その日本丸を湾内の海上から表敬訪問して、
日本丸と観覧艇の間を一列縦隊(横隊はありえませんが、)で
通り抜けるのだそうです。

帆船の姿が目に入ったら、誰からともなく
ああやっぱりきれいだなあ。
のってみたいなあ。
と声があがりました。
湾内を吹く風はきっとそんな憧れの気に満ちていた事でしょう。

船長は学生時代に、この日本丸に乗って航海したことがあるのです。
いくら帆船といったって、航海中はエンジンを使う事もあるんでしょう?
と技術士官が尋ねると
いやあ、逆です。
外洋にでたら、エンジン、ばらしちゃうんです。
つまりエンジンは分解してもう使えないという状態を作って
遠洋航海での訓練に臨むのだそうです。
さすが意気込みが違うんですね。

パレードの時間まで待機する事になっている湾内の奥は、
参加艇が次々入ってくると、
ちょっと狭いよねえ、こんな調子でみんな入れるのかなあ
という声が聞こえました。
海上ではスピードが出ないと、舵はききにくいし、
波の揺れがあるときは、高いマストも気になります。

「帆船って後姿がきれいなんだよなー。」

いつもコック長がレース前に打ってくるメールの 「 打倒 何々!」
の”何々”の所に入る名の一つ ”大海言” ブルーノートと同型艇なのです。

順番に楽屋から出て行きます。

左手に帆船

右手に観覧艇しらさぎ

挨拶後振り返って パレードの列
帆船と観覧艇との間を通るとき、
艇の名前とどこから来たかのアナウンスがあり、
紹介されると観覧艇に向かって手を振りました。
なんだか本物のヨット乗りになったみたいな気分を味わいました。

本部船
早いうちに技術士官から、
「日本丸の写真を撮ったら、カメラしまっちゃった方がいいですよ。
今日は確実に潮水かぶるんで、、、。」
と言われていました。
言われた通り、キャビンに置きに行って、
小さいカメラを持ち出しました。
技術士官の言った通り、レース海域に出てから、
バシャンと潮水をかぶった時がありました。
港から離れるに従って、波の様子が変わってゆきました。

船首が浮いていたので、写したら、
これも打倒の目標”だるま”でした。

厚い雲に切れ間が出来て光が波頭に反射した瞬間
レース前の緊張感も夢の中の出来事のように感じられました。
前の晩ホテルから前夜祭会場に向かう途中の会話で知りました。
「どのあたりに停泊しているんですか?」
「あれっ、入港のとき側通ったじゃないですか。
あんな大きいものの側通って、きづかなかったんですか。
みんなであんなにワイワイ話してたのに、知らなかったんですか。」
とあきれたように笑われました。
多分よそを見てよそ事考えていたのだと思います。
今回はレース海上に行く前に、その日本丸を湾内の海上から表敬訪問して、
日本丸と観覧艇の間を一列縦隊(横隊はありえませんが、)で
通り抜けるのだそうです。
帆船の姿が目に入ったら、誰からともなく
ああやっぱりきれいだなあ。
のってみたいなあ。
と声があがりました。
湾内を吹く風はきっとそんな憧れの気に満ちていた事でしょう。
船長は学生時代に、この日本丸に乗って航海したことがあるのです。
いくら帆船といったって、航海中はエンジンを使う事もあるんでしょう?
と技術士官が尋ねると
いやあ、逆です。
外洋にでたら、エンジン、ばらしちゃうんです。
つまりエンジンは分解してもう使えないという状態を作って
遠洋航海での訓練に臨むのだそうです。
さすが意気込みが違うんですね。
パレードの時間まで待機する事になっている湾内の奥は、
参加艇が次々入ってくると、
ちょっと狭いよねえ、こんな調子でみんな入れるのかなあ
という声が聞こえました。
海上ではスピードが出ないと、舵はききにくいし、
波の揺れがあるときは、高いマストも気になります。
「帆船って後姿がきれいなんだよなー。」
いつもコック長がレース前に打ってくるメールの 「 打倒 何々!」
の”何々”の所に入る名の一つ ”大海言” ブルーノートと同型艇なのです。
順番に楽屋から出て行きます。
左手に帆船
右手に観覧艇しらさぎ
挨拶後振り返って パレードの列
帆船と観覧艇との間を通るとき、
艇の名前とどこから来たかのアナウンスがあり、
紹介されると観覧艇に向かって手を振りました。
なんだか本物のヨット乗りになったみたいな気分を味わいました。
本部船
早いうちに技術士官から、
「日本丸の写真を撮ったら、カメラしまっちゃった方がいいですよ。
今日は確実に潮水かぶるんで、、、。」
と言われていました。
言われた通り、キャビンに置きに行って、
小さいカメラを持ち出しました。
技術士官の言った通り、レース海域に出てから、
バシャンと潮水をかぶった時がありました。
港から離れるに従って、波の様子が変わってゆきました。
船首が浮いていたので、写したら、
これも打倒の目標”だるま”でした。
厚い雲に切れ間が出来て光が波頭に反射した瞬間
レース前の緊張感も夢の中の出来事のように感じられました。
宇和島パールカップレース 行きの回航 (Ⅱ) [ヨット]
普段のセイリング中も、回航中も海上に船舶の姿が見えると、
見た人は必ず知らせます。
航路がぶつかる可能性のある時は、優先権や現実的な状況に照らして
衝突回避の心つもりがいるからです。
クルーの中で一番目が良いのは甲板長で、次いで大師匠です。
目の悪い私などは、どんなに方向を詳しく教えられても分からないほど
遠くにある船の姿を見つけます。
それがヨットだったりすると、関心は別ごとです。
タンカーやフェリーや漁船を認めるのと、
ヨットの姿を目にするのとでは、気持ちが違うのです。
全く知らないヨットが、出合いそうにない航路上にあっても、
そのヨットについて観察できる事について会話が交わされます。
広い海上で点ほどにしか見えなくても、ヨットはヨット仲間なのです。
今回は、半島の反対側のマリーナから、出港したピーターストームと
携帯で交信しては、その姿を探していました。
遅く出発したはずの通称ピーターは、随分先を行っているようでした。
佐田岬を超えると、見えるヨットは宇和島レースに向けているに決まっています。
苦しい船酔いからすっかり解放されて、
見える風景の何もかもが美しく感じられました。
午前中撮り逃した雲への思いから、レンズは空へ向けられていました。
「あれは、“ちはや”じゃないかな。」
というコック長の声が聞こえたのはそんな時だったと思います。
前を行くヨットの事はその時まで知りませんでした。
期待から胸が一瞬の内に膨らみました。
昨年秋の大分のレースで出会い、
ブログで互いの事を知ってゆき、コメントを交わして親近感が増していた
”ちはや”さんと今回再開できるのが、とても楽しみでした。
再開のシーンは何度もイメージされました。
でもそれは、港とか、パーティー会場とかそんな場所でのことでした。
「ああ、やっぱり”ちはや”ですね。」
私にとっては荒波乗り越えてきた回航が、終わりが近づいて来て、
ただでさえ充足感に満たされていっていた時の事です。
そんな時に、こんなに青い海の上でこんな事が待っていたなんて、、、。
向こうも手を振っています。
もう自制心など吹き飛び
「こんにちわあー。」と
大きな声が飛び出してゆきました。
大師匠は”ちはや”の周りを廻ってくれました。
ちはやママさんとご主人がシャッターを切っています。
互いがシャッターを切り合って、決闘シーンのようでしたが、
その後、何度も思い返されるこの時のことで連想するのは、
広いフィールドでばったり出合った親しい犬同士が、
喜んで互いの周りを走り回るシーンです。
そんなにもシンプルで圧倒的な喜びでした。
”ちはや”と別れて、レース海域が近づくにつれ、
明日吹く風の事や、その場合のコースのことなどが
話題に上るようになりました。
戦略を立てるのは主にはやはり大師匠です。
レース展開には大師匠の好みと癖がある事など
大師匠自身の口から聞きました。
港にはピーターストームが先に到着していました。
ピーターの隣に横付けさせてもらいました。
この後”ちはや”が入港して、ブルーノートに横付けする事になりました。
海の上ではあんなに派手な再開をしたのに
間近で会うとなると始めはちょっと照れました。
レースに備えて艇を軽くするため
不要な荷物を桟橋に降ろし、
一旦ホテルに行きお風呂に入ることにしました。
、
こんな時のお風呂はごちそう以上のものに思えます。
お風呂の窓から見える小さな庭につつじが咲いていました。
懐かしいものでも見ているような気持ちがしました。
それから又ハーバーの前夜祭の会場に引き返しました。
曇った夕方でしたが、うっすら染まった雲が見えました。
何もかもが特別なものに見えます。
会場は建物と建物の間に屋根の付いた広い通路のようなところでした。
海側にステージがあって、
それぞれのチームが順番に挨拶をしました。
宇和島市長杯ヨットレース(パールカップレース)は
今回で17回を迎えるそうです。、
80歳を迎えた今年は、奥さんから息子さんを
エスコートにつけられたと言われる山下さんは、ここでは有名人のようで、
これまではずっと一人で参加して来られて、
今回16回目の連続出場だそうです。
ステージ後ろに見えていた炭を流したような雲は
煙のように速く姿を変えていました。
天気の事だから分からないとはいえ、
穏やかな波を想像するのは難しい感じでした。
宇和島パールカップレース 行きの回航 (Ⅰ) [ヨット]
最悪の場合は、昨年同様の大荒れの海になる可能性がある、
と先日の練習日、船長から気象情報の説明を受けていました。
昨年船長たちは、大荒れの海に乗り出したものの、
宇和島までたどりつけず、レースを断念したのでした。
幸い出港の日が近づくにつれて、天気予報は上方修正されて行きました。
3日早朝5時の集合に合わせて、3時半には起き出し
マリーナには15分くらい早目に着きましたが、もう出港準備が始まっていました。
みなが揃ったらすぐにエンジンが始動されて、
ごく日常的な事がすすめられているような雰囲気の中で、
ヨットは桟橋を離れました。

ちょうど二年前初めてレースに参加した時も暗い中での出港でした。
その時撮った、工場の光のぶれた写真を思い出しながら、
見慣れない雲の写真をとっていると、
「ああいうふうになっているのが前線の雲です。」
とコック長が雲の説明してくれました。
大きな塊を作っている雲の下、波立つ暗い海は底知れなさを感じさせます。

うっすら桃色に色づきはじめた雲が、間もない日の出を報せる頃、
これから一日どんな事が待っているのだろうという、
憧れのような期待感が湧いてきました。


日の出
「よし、ジブあげましょうか。」
という大師匠の声に
「取って来ましょうか。」と船室に下りて、バウハッチに入ってゆきました。
二年前、出港後暫くして船室に降りた時激しい船酔いに襲われて、
苦しい思いをしたことがありました。
それを乗り越えて以来、船酔いは怖くなくなっていました。
それに最近は全く酔わなくなっていましたから、
荒れが予想された今回も船酔いの事は念頭に浮かびもしませんでした。
今回ハッチでジブセイルを探していて怪しい気分がしてきた時、
以前の事を思い出し、甲板長とセイル出しを替わってもらいました。


何でも作れる大師匠が工作したジンバル、
こんな大揺れの中で立派に働いていると感心していまいしたが、
潮流と風向きが逆の荒れた海で、急な大揺れが来た瞬間、鍋が飛び出して、
やっと温まって注ぎ分けるばかりになっていた味噌汁は、
見事にぶちまけられ、一滴も残りませんでした。



船酔いと眠気がしつこく繰り返されて
あんなきれいな雲があんなにたくさんあるのにと思いつつも、動けませんでした。
「せめて目に焼き付けておこう。」
と、そんな中でも欲なことを思いましたが、
そう思った事しか覚えていません。
証拠写真のようなつもりで撮った佐田岬の灯台 11:36
佐田岬を回ると、追い潮追い風となり、
ヨットは早さが増しただけでなく、
波に乗ったすべるような走りを繰り返し始めました。
風向きの変化は私自身にとっても大きな転機でした。
舵を切っていた大師匠は、大きな波に乗ってスピードが出はじめると、
いかにもうれしそうな声で、計器の数字を読みあげていました。
「くるよー 10.2っ 4、8、9」
「いくかっ? 10.3. 4..2、、、、」
などとやっていて
「10.8、9、、、、 11っ 11.1いーーーっ」
と言った時はもう声がひっくりかえりそうでした。
この場にいたら、やはり大声で数字を読み上げていただろう
コック長は、前の晩例によって遠足前の子供同様に興奮して、
一睡もできなかったと言って、朝の早いうちにキャビンに寝に行ったままでした。
熟睡していたようで、騒ぎを全く知らなかったそうです。

たまには「そうでもなかったか。」と外れていましたが、
「来るよー」と速度が出そうな波を事前に知らせる大師匠の予測は的確で、
舵を握っているので一層分かるのだろうかと思いました。
やはり一番嬉しかったのは大師匠だったのだろうと思います。
この後12ノットを記録したのです。
そんな頃にはすっかり気分が良くなっていました。

爽快な海の上で、
この後さらに胸のはじけるような事が起きました。
と先日の練習日、船長から気象情報の説明を受けていました。
昨年船長たちは、大荒れの海に乗り出したものの、
宇和島までたどりつけず、レースを断念したのでした。
幸い出港の日が近づくにつれて、天気予報は上方修正されて行きました。
3日早朝5時の集合に合わせて、3時半には起き出し
マリーナには15分くらい早目に着きましたが、もう出港準備が始まっていました。
みなが揃ったらすぐにエンジンが始動されて、
ごく日常的な事がすすめられているような雰囲気の中で、
ヨットは桟橋を離れました。
ちょうど二年前初めてレースに参加した時も暗い中での出港でした。
その時撮った、工場の光のぶれた写真を思い出しながら、
見慣れない雲の写真をとっていると、
「ああいうふうになっているのが前線の雲です。」
とコック長が雲の説明してくれました。
大きな塊を作っている雲の下、波立つ暗い海は底知れなさを感じさせます。
うっすら桃色に色づきはじめた雲が、間もない日の出を報せる頃、
これから一日どんな事が待っているのだろうという、
憧れのような期待感が湧いてきました。
「よし、ジブあげましょうか。」
という大師匠の声に
「取って来ましょうか。」と船室に下りて、バウハッチに入ってゆきました。
二年前、出港後暫くして船室に降りた時激しい船酔いに襲われて、
苦しい思いをしたことがありました。
それを乗り越えて以来、船酔いは怖くなくなっていました。
それに最近は全く酔わなくなっていましたから、
荒れが予想された今回も船酔いの事は念頭に浮かびもしませんでした。
今回ハッチでジブセイルを探していて怪しい気分がしてきた時、
以前の事を思い出し、甲板長とセイル出しを替わってもらいました。
何でも作れる大師匠が工作したジンバル、
こんな大揺れの中で立派に働いていると感心していまいしたが、
潮流と風向きが逆の荒れた海で、急な大揺れが来た瞬間、鍋が飛び出して、
やっと温まって注ぎ分けるばかりになっていた味噌汁は、
見事にぶちまけられ、一滴も残りませんでした。
船酔いと眠気がしつこく繰り返されて
あんなきれいな雲があんなにたくさんあるのにと思いつつも、動けませんでした。
「せめて目に焼き付けておこう。」
と、そんな中でも欲なことを思いましたが、
そう思った事しか覚えていません。
証拠写真のようなつもりで撮った佐田岬の灯台 11:36
佐田岬を回ると、追い潮追い風となり、
ヨットは早さが増しただけでなく、
波に乗ったすべるような走りを繰り返し始めました。
風向きの変化は私自身にとっても大きな転機でした。
舵を切っていた大師匠は、大きな波に乗ってスピードが出はじめると、
いかにもうれしそうな声で、計器の数字を読みあげていました。
「くるよー 10.2っ 4、8、9」
「いくかっ? 10.3. 4..2、、、、」
などとやっていて
「10.8、9、、、、 11っ 11.1いーーーっ」
と言った時はもう声がひっくりかえりそうでした。
この場にいたら、やはり大声で数字を読み上げていただろう
コック長は、前の晩例によって遠足前の子供同様に興奮して、
一睡もできなかったと言って、朝の早いうちにキャビンに寝に行ったままでした。
熟睡していたようで、騒ぎを全く知らなかったそうです。
たまには「そうでもなかったか。」と外れていましたが、
「来るよー」と速度が出そうな波を事前に知らせる大師匠の予測は的確で、
舵を握っているので一層分かるのだろうかと思いました。
やはり一番嬉しかったのは大師匠だったのだろうと思います。
この後12ノットを記録したのです。
そんな頃にはすっかり気分が良くなっていました。
爽快な海の上で、
この後さらに胸のはじけるような事が起きました。
宇和島へ向けて [ヨット]
土曜日と日月の連休前半は、ヨットのワックス掛けや、練習や整備に充てられました。
日曜日が練習の日でした。
盛りだくさんの経験をした、とても楽しい日だったのに
記事をアップする気持ちが起きないのは何故かと思ったら、
数日後に迫った宇和島のレースの方へ、気持ちが向かっているからだと気付きました。
写真だけでもアップして置こうと、少しちぐはぐな気分で腰をあげました。


またもや舵を握っていた大師匠がハローを見つけました。
この季節、この時間この天気、、、覚えておこうと思いました。
停泊しているタンカーに近づいた時、いたずら心の起きた
大師匠は方向転換しないで、ぎりぎり側を通る気になりました。
「ええーっ、又、ほんとやるんですかあ。」 と技術士官
ヨットは風に流されながら進むので、先が読めないとそんなことはできません。
通り過ぎる時、タンカーとヨットとの隔たりは、1メートルでした。



実は午後舵を暫く持たせてもらった時、
同じ状況が起きました。
「まさか大師匠と同じことやろうってんじゃないでしょうねえ。」
との技術士官の声で、大師匠のスイッチオン
「大丈夫大丈夫、いざとなりゃあタックすりゃあいいんだから。」
「おお、 それでいい、それでいい。」
いずれにしても私はこわくありませんでした。
大師匠のリモコン操作でしたから。
「今はどのくらいでしたか?」と聞くと
「5メートルくらいです。」とコック長がおしえてくれました。
リモコンでは安全値がかけられたのでしょう。

午後から仕事が忙しくてなかなか練習に参加できなかった船長が乗り込んで、
宇和島参加クルーの全員が揃いました。
私はスピネーカーが上がるのを久しぶりに見ました。




これがこの日最後の写真です。
マストについている、スピンポールを上げ下げする為の
ポールアイスライダー(というのだそうです。)が、
この間から不具合を起こすことが続いていました。
この時のダメージは大きかったようで、前回のようにヨット上で処置することはできず、
マリーナに帰った後、そこのガレージで修理することになりました。
フォアセイルをスピネーカーに交換する時ほど
ヨット上が緊張してあわただしくなることはありません。
レースでも失速せずにセイルの交換が出来るかどうかは大事なポイントです。
その練習をするつもりで海に出ても、都合よく風が吹かず見送る事も良くあります。
この日は風下に進む時方向転換するジャイブを繰り返した後、
もう一度セイルの交換練習をしようとしたところでした。
レースを前に、みんな一丸となって張り切っていたところで
こんな事になって、本当に残念でした。
ただ、いつも見ていても感心するのは、
何か事が起きて大変そうでも、みんな落ち着いて、
次に何をするのがベストかに向けて取り組んでいることです。
それが又上手くゆかなかったら、次の工夫に取り組みます。
これは、強すぎたり、吹かなかったり、気まぐれで、読めなかったりする
風を相手にして、シートでセイルを細やかに操り、
臨機応変に風とやりとりしてヨットを進めてゆくヨット乗りの、
身に付いたやり方なのかもしれないと思います。
ガレージの中で大きな金属音が響いて、
口も手も出しようのないほど馴染まない作業が続けられる中、
事が重大そうに見えたので、心配でしたが、
次の日の午前中に何とか使える状態になったと聞き、ホットしました。
ヨットは4日のレースに向けて、3日早朝にマリーナを出ます。
私は回航食の仕込みに入ります。
今では一人一人の好みも分かってきました。
どんな旅になるのか楽しみです。
日曜日が練習の日でした。
盛りだくさんの経験をした、とても楽しい日だったのに
記事をアップする気持ちが起きないのは何故かと思ったら、
数日後に迫った宇和島のレースの方へ、気持ちが向かっているからだと気付きました。
写真だけでもアップして置こうと、少しちぐはぐな気分で腰をあげました。
またもや舵を握っていた大師匠がハローを見つけました。
この季節、この時間この天気、、、覚えておこうと思いました。
停泊しているタンカーに近づいた時、いたずら心の起きた
大師匠は方向転換しないで、ぎりぎり側を通る気になりました。
「ええーっ、又、ほんとやるんですかあ。」 と技術士官
ヨットは風に流されながら進むので、先が読めないとそんなことはできません。
通り過ぎる時、タンカーとヨットとの隔たりは、1メートルでした。
実は午後舵を暫く持たせてもらった時、
同じ状況が起きました。
「まさか大師匠と同じことやろうってんじゃないでしょうねえ。」
との技術士官の声で、大師匠のスイッチオン
「大丈夫大丈夫、いざとなりゃあタックすりゃあいいんだから。」
「おお、 それでいい、それでいい。」
いずれにしても私はこわくありませんでした。
大師匠のリモコン操作でしたから。
「今はどのくらいでしたか?」と聞くと
「5メートルくらいです。」とコック長がおしえてくれました。
リモコンでは安全値がかけられたのでしょう。
午後から仕事が忙しくてなかなか練習に参加できなかった船長が乗り込んで、
宇和島参加クルーの全員が揃いました。
私はスピネーカーが上がるのを久しぶりに見ました。
これがこの日最後の写真です。
マストについている、スピンポールを上げ下げする為の
ポールアイスライダー(というのだそうです。)が、
この間から不具合を起こすことが続いていました。
この時のダメージは大きかったようで、前回のようにヨット上で処置することはできず、
マリーナに帰った後、そこのガレージで修理することになりました。
フォアセイルをスピネーカーに交換する時ほど
ヨット上が緊張してあわただしくなることはありません。
レースでも失速せずにセイルの交換が出来るかどうかは大事なポイントです。
その練習をするつもりで海に出ても、都合よく風が吹かず見送る事も良くあります。
この日は風下に進む時方向転換するジャイブを繰り返した後、
もう一度セイルの交換練習をしようとしたところでした。
レースを前に、みんな一丸となって張り切っていたところで
こんな事になって、本当に残念でした。
ただ、いつも見ていても感心するのは、
何か事が起きて大変そうでも、みんな落ち着いて、
次に何をするのがベストかに向けて取り組んでいることです。
それが又上手くゆかなかったら、次の工夫に取り組みます。
これは、強すぎたり、吹かなかったり、気まぐれで、読めなかったりする
風を相手にして、シートでセイルを細やかに操り、
臨機応変に風とやりとりしてヨットを進めてゆくヨット乗りの、
身に付いたやり方なのかもしれないと思います。
ガレージの中で大きな金属音が響いて、
口も手も出しようのないほど馴染まない作業が続けられる中、
事が重大そうに見えたので、心配でしたが、
次の日の午前中に何とか使える状態になったと聞き、ホットしました。
ヨットは4日のレースに向けて、3日早朝にマリーナを出ます。
私は回航食の仕込みに入ります。
今では一人一人の好みも分かってきました。
どんな旅になるのか楽しみです。
散歩 伊保木(いおき) [日誌]
この頃夫が休みの日の夕方など、
車でちょとだけ出かけたところで散歩、というのをよくやります。
象鼻ヶ崎を見下ろす位置にある簡保の宿の前の道路を通り過ぎて、
山側に逸れて上がってゆくと、海を高いところから見下ろす位置に集落があります。
海の景色の素晴らしいところで、古墳や窯元がありますが,
距離的には近いのに、普段にあまり行くことはありません。
ところどころ狭かったり急な坂がある道のせいかもしれません。

桜もきれいだきれいだと思っている暇に散ってゆきますが、
桜が終わったこの時期の
やさしい緑の多様な色合いも、どんどん変化してゆきます。

クヌギ類の新芽がのび出す頃は、山がもこもこと膨張しているように見えます。





柳井へ向かう海岸線の道路を見下ろす位置から

夕日を受ける梅の若葉
ぐるっとまわって海岸線へ降りて帰りました。

、

車でちょとだけ出かけたところで散歩、というのをよくやります。
象鼻ヶ崎を見下ろす位置にある簡保の宿の前の道路を通り過ぎて、
山側に逸れて上がってゆくと、海を高いところから見下ろす位置に集落があります。
海の景色の素晴らしいところで、古墳や窯元がありますが,
距離的には近いのに、普段にあまり行くことはありません。
ところどころ狭かったり急な坂がある道のせいかもしれません。
桜もきれいだきれいだと思っている暇に散ってゆきますが、
桜が終わったこの時期の
やさしい緑の多様な色合いも、どんどん変化してゆきます。
クヌギ類の新芽がのび出す頃は、山がもこもこと膨張しているように見えます。
柳井へ向かう海岸線の道路を見下ろす位置から
夕日を受ける梅の若葉
ぐるっとまわって海岸線へ降りて帰りました。
、
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